♬ ボクシング


井岡選手!!

WBAダブルタイトルマッチ各12回戦が、9月11日(水)に大阪市で行われました。

 

ライトフライ級チャンピオンの井岡一翔選手は、同級5位のタイのクワンタイ・シスモー

ゼンを7回2分17秒、KO勝ちして2度目の防衛に成功しました!!


井岡選手の戦績は、これで13戦全勝(9KO)。

 

おめでとうございます。!

 

宮崎選手!!

WBAダブルタイトルマッチ各12回戦が、9月11日(水)に大阪市で行われました。

 

ミニマム級の王座決定戦は、チャンピオンの宮崎亮選手が、暫定王者のメキシコのヘスス

・シルベストレを判定2-0 で破り、2度目の防衛に成功しました。

 

宮崎選手の戦績は23戦20勝(11KO)3分け。

 

おめでとうございます。!

 

五十嵐選手!!

ボクシングのダブル世界戦が、去る7月16日に、行われました。

WBCフライ級タイトルマッチ。

 

挑戦者は、1位の五十嵐俊幸=帝拳=で、

王者のソニーボーイ・ハロ=フィリピン=に

 

2−1で判定勝ちしました。

 

彼は、世界初挑戦で王座奪取に成功したわけです。


2004年アテネ五輪代表の五十嵐選手は、五輪経験者では、

ロイヤル小林、平仲明信に次いで3人目となる世界王者となりました。

 

もうひとつは、同じ日に

WBAスーパーフェザー級タイトルマッチが行われ、王者の内山高志

=ワタナベ=が、6位のマイケル・ファレナス=フィリピン=に

三回1分15秒、偶然のバッティングで、負傷引き分けになり、

なんとか5度目の防衛を果たしました。

 

 


〇〇ってなに?


【WBAとWBC】

 

一般的には、加盟国や団体数では、WBAWBCもそれほど変わりありません。


また、WBCのほうが顕著に大きいという話をよく聞きますが、事実でははないと

思います。

当然、両団体の加盟国および団体は重複しているので、組織の規模としては変わら

ないんじゃないかと思います。

ただし権威の失墜は両団体ともありますが、

正規王者の他にスーパー王者暫定王者を乱立するWBAは著しいです。


世界戦を行えばタイトルマッチの認証料が入ってくるので、そのために限りある階級

の中から王者乱立してると思われても仕方ない愚行が蔓延っています。

WBCもWBAと同じように暫定王者を乱発しているので、

アメリカやヨーロッパではIBFやWBOへの信頼性の方が高いのでは思います。

もちろん、WBAとWBCだけが主要団体ではなく、

他にIBFとWBOを含めた4団体が世界の主要団体です。

日本はIBFとWBOには加盟していないので知名度は低いのですが、

ボクシング主要国で両団体に加盟していないのは日本と韓国だけです。


好きなボクサー


尊敬するボクサー、師匠の原田(ファイティング原田さん)さんは、

もちろんですが、ここでは、個人的に好きなボクサーをあげてみます。

 

【ウィルフレド・ゴメス選手】

1974年世界選手権に出て、全試合ノックアウト(KO)勝利で優勝

しました。

1977年プロ入り後初のWBC世界ジュニアフェザー級選手権試合で

12回テクニカルノックアウト(TKO)で勝ち、王座を獲得しました。

以後、王座を17度連続で防衛し、全てKO勝ちという記録を残しまし

た。ちなみに、17回連続防衛は、スーパーバンタム級の最多連続防衛

記録で、連続KOの世界記録でもあります。

ちょっと前といっても、34年前に日本人のロイヤル小林という選手と

と対戦し、3回KO勝ちしました。

同じ年に、それまで43戦全勝(42KO)の世界バンタム級王者である

カルロス・サラテというメキシコの選手に5回KO勝ちで

「史上最高のKOキング対決」というボクシング史上でも有名な試合です。

ところが、1981年タイトル保持したまま、1階級上のWBC世界フェザー

級チャンピオンの「サルバドル・サンチェス」とタイトルマッチを行いまし

たが、なんと、8回KO負けをし初の黒星となりました。

1982年に、ルぺ・ピントール選手に14回KO勝ちしましたが、

翌年 WBCジュニアフェザー級王座を返上しました。

なぜならば、

翌年の、WBC世界フェザー級王者「ファンラボルテ」選手に挑戦するためです。

見事勝ちましたが、ゴメスにとって2階級制覇でもありましたが、初の判定勝ち

でもありました。

1984年、初防衛戦で、アズマー・ネルソン選手にKO負けで、王座から転落

したにもかかわらず、

1985年、さらに1階級上げてWBA世界ジュニアライト級チャンピオンの

ロッキー・ロックリッジ選手に挑戦し、判定勝ちし、3階級制覇に成功しました。

1986年、初防衛戦で、アルフレド・ライネ選手に負けたのをきっかけに

1989年現役を引退しました。

 

不屈の精神力は、負けても階級を上げて挑み続けるところでもわかりますように

私も、こんな男になりたいと思ったほどです。